岩渕麗楽と名将・佐藤康弘が紡いだ9年間の物語|メダルよりも重い信頼

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文:高橋 スノー(スポーツノンフィクションライター)

2026年ミラノ五輪、女子ビッグエア決勝。深田茉莉選手の金メダルが決まった瞬間、テレビの前で思わず目頭が熱くなった人も多いのではないでしょうか。

歓喜の輪の中心にいたのは、新女王だけではありません。彼女を抱きしめる岩渕麗楽選手と、二人の肩を力強く抱く佐藤康弘コーチ。その姿には、単なる「勝者と敗者」や「コーチと選手」という枠を超えた、もっと濃密で、熱い血の通ったドラマがありました。

ニュース速報では「深田金メダル、岩渕は惜しくも…」と伝えられますが、この結果は決して岩渕麗楽選手の敗北を意味しません。むしろ、彼女が9年かけて佐藤コーチと共に積み上げてきた「信頼」と「挑戦」があったからこそ、このチームは世界一になれたのです。

今日は、長年彼らを追い続けてきた私の取材ノートから、数字やリザルトには表れない「チーム佐藤」の真実についてお話しします。これは、スノーボードという競技を通じた、魂の継承の物語です。

「4位は嫌だ」…北京の涙から始まった、本当の闘い

時計の針を少し戻しましょう。2022年、北京五輪。

あの夜、岩渕麗楽選手は、女子選手として史上初となる超大技「トリプルコーク(縦3回転)」に挑みました。着地は成功せず、結果は4位。メダルには手が届きませんでした。

しかし、私が忘れられないのは、その後のシーンです。泣き崩れる彼女に駆け寄り、「よくやった、俺の中では金メダルだ」と抱きしめた佐藤コーチ。そして、岩渕選手が絞り出すように言った「4位は嫌だ」という言葉。

あの瞬間、二人の関係は「メダルを獲らせるコーチと獲る選手」から、「人生をかけて共に闘う同志」へと深まりました。

佐藤康弘コーチと岩渕麗楽選手が出会ったのは、彼女がまだ中学生の頃。それから9年、二人は文字通り二人三脚で歩んできました。怪我の恐怖、プレッシャー、そして「世界一」というあまりに高い壁。

オフショットで見せる二人の会話は、まるで親子、あるいは長年連れ添った夫婦のように自然です。多くを語らずとも、「今の感覚どう?」「んー、もうちょっとタメが欲しい」といった一言二言で、すべてが通じ合う。この阿吽の呼吸こそが、佐藤康弘と岩渕麗楽という師弟関係の核心です。

彼女が北京で流した涙は、悔しさだけではありませんでした。「康弘さんを男にしたい」という、コーチへの深い敬愛と責任感が溢れ出たものだったのです。岩渕選手のその想いは、4年後のミラノで、後輩の金メダルという形を変えて結実することになります。

✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス【結論】: ビジネスやチーム作りにおいても、「結果が出ない時」のコミュニケーションこそが、最強の信頼関係を築くチャンスです。

なぜなら、成功している時は誰でも笑顔でいられますが、失敗や苦境の時に「共に泣き、共に悔しがり、それでも肯定してくれる」リーダーの存在が、メンバーの帰属意識を劇的に高めるからです。佐藤コーチの態度は、まさにその究極形と言えるでしょう。

なぜ「チーム佐藤」だけが勝てるのか? クエストが生んだ魔法

ここで少し視点を変えて、なぜ佐藤康弘コーチの教え子たち(チーム佐藤)ばかりが、これほどまでに強いのか? その機能的な秘密に迫ります。

根性論ではありません。そこには明確な「ロジック」と「環境」があります。

1. 恐怖を排除する「埼玉クエスト」のシステム

チーム佐藤の強さの源泉は、佐藤コーチが作り上げた練習施設「埼玉クエスト(Saitama Quest)」にあります。

通常、雪上での高難易度ジャンプ練習は命がけです。失敗すれば大怪我をし、そのシーズンを棒に振ることも珍しくありません。しかし、クエストは違います。着地面が巨大なエアバッグでできているため、どんなに派手に転んでも怪我をしないのです。

これにより、選手たちは恐怖心から解放され、雪上では不可能な回数のトライ&エラーを繰り返すことができます。「怪我のリスクゼロで、限界を超えた挑戦ができる」。この心理的な安心感こそが、習得スピードを劇的に加速させました。

2. 感覚を言語化する「YASメソッド」

しかし、施設だけでは金メダルは獲れません。そこに加わるのが、佐藤コーチ独自の指導法、通称「YASメソッド」です。

元プロスノーボーダーである彼は、自身が体感してきた感覚を、物理法則と言葉に落とし込む天才的な「言語化能力」を持っています。「もっと気合いを入れろ」とは言いません。「踏み切りの瞬間に、左肩を3センチ内側に入れるイメージで」と、具体的かつ論理的に指示を出します。

この「クエストという実験場」と「言語化という処方箋」が組み合わさることで、深田茉莉選手のように、本格参戦からわずか3年で世界を獲るような超短期育成が可能になったのです。

埼玉クエストでのエアバッグ練習から、佐藤コーチの言語化指導を経て、雪上での成功に至るまでの3ステップを描いたフロー図。

「麗楽ちゃんみたいに」…継承されたバトンと深田茉莉の金メダル

 

2026年、ミラノで深田茉莉選手が金メダルを掲げた時、その隣には笑顔の岩渕麗楽選手がいました。この光景にこそ、チーム佐藤の真の価値があります。

深田選手は中学生の頃、「麗楽ちゃんみたいになりたい」と憧れて佐藤コーチの門を叩きました。いわば、岩渕選手は彼女にとってのアイドルであり、目標でした。

通常、アスリートの世界でライバルに手の内を明かすことはタブーとされます。しかし、岩渕選手は違いました。自分が苦労して習得した技のコツや、大会での心構えを、後輩である深田選手に惜しみなく伝えたのです。

「まり(深田選手)が勝ってくれたら、私も嬉しいから」

そう言える岩渕選手の強さは、メダルの色を超えています。彼女は、佐藤コーチと共に「世界最高難度」に挑み続け、道を切り拓くパイオニア(開拓者)としての役割を全うしました。その背中を見て育った深田選手が、開拓された道を駆け抜け、頂点に立った。

つまり、深田茉莉選手の金メダルは、単独の功績ではありません。岩渕麗楽という偉大な先輩から受け継がれたバトンが、ゴールテープを切った瞬間だったのです。

チーム佐藤における「継承」の役割
役割 名前 チームへの貢献とスタンス
Pioneer (開拓者) 岩渕 麗楽 トリプルコークなど前人未到の技に挑み、「女子でもできる」ことを証明。後輩へ経験を言語化して伝達。
Successor (継承者) 深田 茉莉 岩渕の背中を追い、確立されたメソッドを吸収。爆発的な成長力で2026年の頂点へ到達。
Architect (設計者) 佐藤 康弘 二人の個性を尊重し、姉妹のような信頼関係を構築。「競争」ではなく「共闘」の文化を作る。

名伯楽・佐藤康弘の正体。「First Children」から世界へ

最後に、この最強チームを作り上げた男、佐藤康弘コーチ自身の物語にも触れておきましょう。

彼は、決して最初から「優等生コーチ」だったわけではありません。90年代、スノーボードがまだ不良の遊びと言われていた時代に、「First Children(ファーストチルドレン)」という伝説的なチームを率い、日本のスノーボードシーンを熱狂させたカリスマ的プロスノーボーダーでした。

当時の彼は、常識を覆すビデオ作品を次々と発表し、「スノーボードはもっと自由で、カッコいいものだ」と叫び続けていました。そのパンクロックな精神は、コーチになった今も変わっていません。

「国境なんて関係ない。スノーボードを通して、平和と友情を伝えたい」

そう語る彼は、日中関係が微妙な時期であっても、中国のSu Yiming選手を指導し、国民的英雄に育て上げました。彼にとって、岩渕麗楽も深田茉莉もSu Yimingも、国籍の違う生徒ではなく、同じ雪山を愛する「家族(Family)」なのです。

この、国境も世代も超える大きな愛こそが、選手たちが彼を「YAS」と呼び、全幅の信頼を寄せる理由なのでしょう。

スノーボードは「人間教育」。メダルの先にあるもの

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佐藤康弘コーチは常々、「メダルはあくまで結果。大切なのは、スノーボードを通じてどんな人間に育つかだ」と語っています。

岩渕麗楽選手が深田茉莉選手に見せた優しさ。
深田茉莉選手が先輩に見せる敬意。
そして、彼らを包み込む佐藤コーチの情熱。

私たちがミラノ五輪で目撃した感動の正体は、金メダルという金属の輝きではなく、彼らが9年間かけて磨き上げてきた、この「人間としての輝き」だったのではないでしょうか。

岩渕麗楽と佐藤康弘の物語は、ここで終わりではありません。形を変え、立場を変え、この「信頼の絆」はこれからも続いていくでしょう。

もし、あなたが仕事や人間関係で壁にぶつかった時は、思い出してください。「4位は嫌だ」と泣きながらも、前を向いて仲間を支え続けた、あの小さな巨人の姿を。


主な参考文献

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