小田凱人は歩ける?骨肉腫で失った「走る機能」と世界一への分岐点

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執筆者: 高橋 潤(スポーツジャーナリスト/パラスポーツ・アナリスト)

大手スポーツメディアで15年以上の執筆経験を持ち、パラリンピックの現地取材を4大会連続で担当。アスリートのメンタリティとキャリアの物語性に焦点を当てた取材を信条とする。著書に『逆境を「個性」に変える者たち』。

この記事について:
「パラスポーツ取材歴15年の専門家が、テニスファンであるあなたの視点に立って、小田凱人選手の身体的真実と強さの秘密を徹底解説します。」

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グランドスラムのコートを縦横無尽に駆け巡り、相手を圧倒する車いすテニスの小田凱人(おだ ときと)選手。そのあまりにダイナミックで力強いプレーを見ていると、ふと純粋な疑問が頭をよぎることはありませんか?

「これほど動ける彼のエ足は、本当はどうなっているのだろう? 歩けるのだろうか?」

その疑問は決して失礼なものではありません。むしろ、彼のパフォーマンスがいかに常識外れであるかを示す証拠でもあります。

結論から申し上げますと、小田凱人選手は杖を使えばご自身の足で歩くことが可能です。

しかし、この単純な事実の裏には、「歩けるけれど、走れない」という医学的な現実と、9歳でサッカー選手の夢を絶たれた少年の壮絶な物語が存在します。

この記事では、単なる身体機能の解説にとどまらず、彼が9歳で患った骨肉腫という大病をいかにして人生の「分岐点」と定義し直したのか、その強靭なメンタリティと、身体的特徴を武器に変えたプレースタイルの秘密を徹底的に深掘りします。

なお、病気や障害と向き合いながら第一線で表現を続ける“身体のリアル”は、スポーツに限った話ではありません。たとえば浜崎あゆみの声が出ない本当の理由と現在の歌唱の記事でも、「表からは見えにくい制約」と「工夫で戦い続ける姿勢」が描かれています。小田選手の凄みを理解するヒントとして、あわせて読むと視野が広がるはずです。

読み終える頃には、小田選手が放つショットの一打一打が、より重く、そして輝いて見えるようになるはずです。

【事実】小田凱人は歩ける。しかし「走れない」医学的理由

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まず、多くの人が抱く「歩けるのか?」という疑問に対して、医学的な背景を含めて正確にお答えします。

小田選手は、日常生活の短い距離であれば、杖を使用して自分の足で歩行することができます。車いすは主に「競技用」や「長距離移動用」として使用しており、生活の全てを車いすに依存しているわけではありません。

なぜ「走る」ことだけが奪われたのか

彼が歩けるにもかかわらず、パラアスリートとして車いすテニスを選んだ決定的な理由は、「二度と走ることはできない」という身体的な制約にあります。

その原因は、9歳の時に発症した骨肉腫(こつにくしゅ)です。これは骨に発生する悪性腫瘍(がん)で、小田選手の場合、左脚の股関節部分に腫瘍が見つかりました。

  • 手術の内容: 命を守るため、左足の股関節と大腿骨の一部を切除。
  • 機能の変化: 切除した部分は「人工関節」に置き換えられました。

この手術により、歩行というゆっくりとした動作は可能になりましたが、「走る」「激しく踏ん張る」といった運動機能は永久に失われました。当時、プロサッカー選手を夢見ていた少年が突きつけられた現実は、あまりにも過酷なものでした。

✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス

【結論】: パラアスリートの障害の度合いは見た目だけでは判断できません。「歩けるなら軽度なのでは?」と考えるのは早計です。

なぜなら、小田選手のように「一見健常に見える機能」が残っていても、競技レベルの負荷には耐えられないケースが多いからです。彼が車いすを選んだのは、テニスという激しいスポーツにおいて、自身のポテンシャルを最大限に発揮するための「戦略的な選択」でもあったのです。

そしてもう一つ大事なのは、「病気や手術=終わり」ではないという事実です。芸能界の例ですが、突然の大病から復帰し、活動を継続するまでの過程を整理した志尊淳の病歴と回復までの背景の記事でも分かるように、当事者が向き合うのは“根性論”ではなく、現実的な制約と再設計です。小田選手もまた、身体の条件に合わせて勝てる競技・勝てる戦い方へと自分を最適化したと言えるでしょう。

絶望を「分岐点」に変えたレジェンド・国枝慎吾との出会い

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サッカーボールを追いかける日々を奪われ、絶望の淵にいた9歳の少年。そんな彼を再びスポーツの世界へと引き戻したのは、一人のレジェンドの存在でした。

入院中、担当医からパラスポーツの存在を教えられた小田選手は、スマートフォンで動画を検索します。そこで画面越しに出会ったのが、ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した国枝慎吾選手でした。

「可哀想」ではなく「格好いい」と思わせた衝撃

小田選手は後にインタビューで、国枝選手のプレーを見た時の衝撃をこう語っています。「障がい者が頑張っている」という同情的な目線ではなく、純粋に「スポーツとして格好いい」「自分もあんな風になりたい」と憧れを抱いたと。

この瞬間、骨肉腫という病気は「夢を奪った不幸な出来事」から、「車いすテニスという新しい夢に出会うための分岐点」へと意味を変えました。

小田凱人選手が9歳で骨肉腫によりサッカーの夢を断念し、10歳で国枝慎吾選手の映像に出会って車いすテニスという新たな希望を見つけるまでの心の変遷を示したフロー図。

もし彼が骨肉腫にならなければ、車いすテニスに出会うことはなく、世界最年少グランドスラム制覇という偉業も生まれませんでした。彼にとって障害とは、克服すべき壁ではなく、新しい自分を形成するための重要な要素なのです。

常識を覆すプレースタイル:身体的制約を「最強の武器」へ

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小田選手の凄さは、メンタルだけではありません。人工関節という身体的な制約を、独自のプレースタイルへと昇華させた技術力にあります。

左股関節の可動域が狭く、踏ん張りが効きにくい体。しかし、彼はそれを補って余りある「体幹の強さ」と「リーチの長さ」を持っています。

攻撃的テニスの真髄

通常の車いすテニスでは、チェアを漕ぐ動作とラケットを振る動作の切り替えが重要です。しかし小田選手は、強靭な体幹を活かし、体勢が崩れた状態や動きながらでも強烈なショットを放つことができます。

これにより、相手が「届かないだろう」と油断したボールをエースに変え、守備的な展開を一瞬で攻撃へと転じさせます。弱点を補うのではなく、強みを極限まで伸ばすことで、彼は世界の頂点へと駆け上がりました。

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📊 小田凱人選手 偉業への軌跡
年齢 達成した主な記録 その意義と備考
15歳 プロ転向を表明 若くして覚悟を決め、世界への挑戦を開始(2022年4月)。
16歳 NECマスターズ優勝 史上最年少での年間王者達成。世界にその名を知らしめる。
17歳 全仏オープン優勝 グランドスラム史上最年少制覇と世界ランク1位を同時に達成。

小田凱人選手に関するよくある質問(FAQ)

最後に、テニスファンの皆様からよく寄せられる、小田選手の素顔に迫る質問にお答えします。

Q1. 名前の「凱人」はどう読むのですか?由来は?

A. 「ときと」と読みます。
「凱歌(がいか)をあげる」「凱旋(がいせん)」の「凱」という字が使われており、勝利して帰ってくる人になってほしいという願いが込められていると言われています。まさにその名の通り、世界中で勝利を収めています。

Q2. 使用している車いすのメーカーはどこですか?

A. 日本のOX ENGINEERING(オーエックスエンジニアリング)社製です。
多くのトップパラアスリートが愛用する日本のメーカーです。小田選手の激しいプレーを支えるため、細部までカスタマイズされた相棒と言えます。

Q3. 普段はどんな性格ですか?

A. 「有言実行」のポジティブな性格です。
メディアの前では堂々と「世界一になる」「歴史を変える」と語り、それを次々と実現させています。その強気な発言から「ビッグマウス」と呼ばれることもありますが、その裏には血のにじむような努力があり、ファンからは「ビッグマウス・ビッグプレーヤー」として愛されています。


まとめ:その一歩は、走るよりも力強い

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小田凱人選手が「歩けるのか」という疑問の答え、そしてその背景にある壮大なストーリーをご紹介しました。

  • 結論:杖を使えば歩けるが、骨肉腫の手術により人工関節となっているため「走る」ことはできない。
  • 転機:サッカーの夢を絶たれた絶望を「分岐点」と捉え、国枝慎吾選手への憧れを原動力にテニスを始めた。
  • 進化:身体的な制約を「個性」に変え、圧倒的な攻撃力で世界最年少記録を次々と塗り替えている。

彼がコート上で車いすを漕ぐ姿は、単なる移動手段ではありません。それは、走れなくなった足の代わりに手に入れた、世界最速で夢へと駆け上がるための翼なのです。

次に小田選手の試合を見る時は、ぜひその「翼」の使い方に注目してみてください。困難を力に変えた一人の若者が、歴史を塗り替える瞬間を目撃できるはずです。


[参考文献・出典]

  • Number Web:「骨肉腫があって、車いすテニスができている」最年少17歳で四大大会V、小田凱人が「病気を乗り越えた」と言わない理由
  • 婦人公論.jp:【パリ パラリンピック車いすテニス】小田凱人「骨肉腫を発症して8年、17歳で世界一に」
  • PHPオンライン:「おれの足がこわれる」車いすテニス小田凱人選手が9歳で患った左足の悪性腫瘍
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